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もりこん記録
実施日時
平成20年9月18日(木)18:45〜20:45
場所
船橋中央公民館
参加者
菅野、小林、平賀(ガンコ山)、広畠、龍門、山内、相馬、樋口、湯本(講師)、安武(スタッフ) 計10名
主なテーマ
○漆の話し- 掻き師 出稼ぎ旅路の果て 講師 : 湯本 信康
(内容)
英語でJapanは日本だが、japanは漆、漆器をさす
漆の起源は、蜂が巣を作る時、巣と木の接着剤に使っていた。採取方法はキツツキがミズキに溝状の傷口を付けるのを真似た。縄文期の遺物に漆器が有る。
日本にあるウルシ族--ウルシ、ヤマウルシ、ツタウルシ、ハゼノキ、ヤマハゼ、ヌルデ
漆液は形成層の上から分泌、掻き師はそこまでの深さで上手く傷をつける。カマとカンナと呼ばれる専用の切れ味鋭い道具を使用。
漆は梅雨期に一番良く乾く(固まる)。これは空気中の水分と反応して固まる為、温度も25度程度で丁度良い。
漆は、接着性、耐薬品性、堅牢性で非常に優れる。但し紫外線には弱い
なる。沢蟹をつぶして塗ると良い、ぬる目の湯も効く(民間療法)
出稼ぎ漆掻き職業集団は、越前今立(福井県東部)、大和湯塩(奈良県吉野村)、越後朝日村にいた。特に越前が多かった。この人たちが全国で漆掻をした。
(9)4月から11、12月上旬まで出稼ぎ、6月〜11月頃まで掻く。取る時期によって品質に差が出る。お盆前までの物が良品
越前の漆掻出稼ぎの隆盛は、江戸幕府による日光大造営時の御用漆人、米作不適地での出稼ぎ道具(鎌)の発達、漆器の産地が近いこと、が作用している。
(11)一人が一シーズンに掻く量は40貫で一人前。明治初期年収は80円〜120円、小学校教師は年収10円、校長が40円程度で、高収入だった。
採取した漆の濾過には和紙が必須。薄手で堅牢であること。吉野紙、東山和紙(南部浄法寺)
奥久慈(茨城県大子)は水戸藩が奨励したので盛ん。殺し掻き(完全に掻いて木を枯らしてしまう方法)はせず、木蝋も合わせて採取していた(養生掻き)。
南部への出稼ぎは「越前衆」と呼ばれ、一ヶ月以上かけて行った。そこで定住してしまう者も幾分出た。
昭和期は軍需品(鉄砲、弾丸、軍艦など)の錆止めとして需要が高まった
高度成長期に急速に衰退、現在は中国からの輸入物が殆ど(輸入が99%、価格は国内産の1/5)。国内産は岩手県と茨城県が主産地。
現在の漆掻師は6人のみ、最年長85歳、最年少70歳。
国内産は高品質で透明度が高い。大子漆の復興運動(技術継承)、浄法寺に現存する42万本の漆原木を活かす振興活動が起こっている。
春慶塗に漆が多用される。木目の美しさを出す。 漆に関する多面的な興味深いお話を伺うことがで出来ました。 漆に関する情報としては寺嶋さんのブログの中から漆で検索すると漆掻職人を訪問した時の記事が載っています。http://blogs.yahoo.co.jp/ytrshm
尚、本会の冒頭、小林副会長およびガンコ山の平賀さんから、ツリーハウス展開の状況(外人客が多い)、及び森林を経済価値化するという考え方の話があり、ツリーハウスへの森林インストラクターの積極的参加が要請されました。
以上
(報告:安武)