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森林と武士
実施日時
平成20年11月12日(水) 10:00〜12:00
場所
市川市市民会館2F会議室
受講者数
36名
講師
町原
庶務
遠坂・佐山・和波
オブザーバー
國安・中野・桐山・小島・山内・栗田
資料概要
森林と武士を連結するものは、彼等が魂と称する日本刀である。この刀は、砂鉄と木炭を原料とする「タタラ製鉄」法により製造される「タマハガネ」なくしては製造不可能であった。
木炭は、主として
@20〜40年生の広葉樹林(萌芽能力の旺盛さを保有している林令としての大凡の限度)、
A前述の広葉樹林(伐出作業能率から見ても、この程度のha当たり収穫量は必要)から収穫した幹材・枝条材を、乾溜して生産したものであるが、木炭の生産歩留まりは、15%〜20%(重量比)程度であり、「森林家必携」掲載の「内地一般雑木林平均収穫表」によれば、平均林令34年生の広葉樹林の蓄積は1ヘクタール当たり約137立方メートル。その全乾重量は、約70トン(含水率約50%として)。全量を製炭に利用するとして、10トン〜14トンの木炭を生産し得。「たたら製鉄法」による「タマ鋼(ハガネ)」の収率は、砂鉄8トン、木炭13トンを使用して日本刀の素材となる「タマ鋼」1トンを生産し得。
つまりは武士の魂と称する日本刀の原材料1トンの玉鋼(タマハガネ)を作る為に、約1ヘクタールの広葉樹林を消費せねばならず、これが森林と武士との第一の接点と言える。「砂鉄七里に炭三里」との諺があるが、原材料の集荷距離の短い事の、必要順位を端的に表現している。
また、桜の花の散り様の潔さが、所謂「武士道」の示す生き様に合致し、国学者の本居宣長の『敷島の 大和心を 人問わば 朝日に匂う 山桜花』の歌とか、西行法師(元北面の武士 1118年〜1190年)の『願わくば 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ』の歌があり、桜が武士には非常に好まれていたようで、また旧日本海軍でもシンボルの花として、徽章・階級章等に使用されていた。勿論この桜は、天然林の中に混生している「やまざくら」を指していて、人工的な「そめいよしの」を対象に詠んだものではない。
また往時の合戦には、森林は視界を遮るものとして邪魔者扱いで伐採される事が多かった。(例えば、現存の函南原生林は、地元の村落民から水源林として残して欲しいとの嘆願があった為に伐採をまぬがれたらしく、あの沢沿いから上の台地状地域に生育していた林分は、見通しをよくするため皆伐してしまったそうである。)また築城の際、遠距離の水源林からサイフォンの原理を応用して城内へ飲料水を引き込んで籠城に備えるなど、(例えば金沢城は、約10キロメートル犀川の上流、辰巳部落辺より土中に埋設した石造りの樋により取水し、城中に引き込んでいた。)水源林の存在は絶対必要なものであり、これを敵方に察知され破壊される事により、落城、敗北した事例も多いようである。
前九年の合戦において、源頼義の軍団の中核となったのは、坂東諸国から動員の武士たちであった。この出役で、朝廷方が公の戦いと認めず、結局義家が恩賞を私有財産から支払った事実が全国の武士の間に伝わり、武士の棟梁として義家の信用が高まって、自分の領地を、租税の便を計らって貰うために義家に寄進する者が多くなり、義家は源氏の(東国武士の)棟梁として強大になる一方なので、其れを恐れた朝廷から、義家に寄進する事を禁止する宣旨が出た程であった。
律令国家と律令軍制
八世紀、奈良時代の律令国家は、一般農民である公戸一戸から一人を徴兵する大規模軍隊を保持していた。一戸一兵士とした場合、全国総戸数約20万戸から徴兵された律令国家の総兵力は約20万人に達した。
ちなみに当時の人口は600〜700万人と推定されており、現在の人口約1億1000万人に対する陸上自衛隊総兵力15万人に比べて、当時の律令国家がいかに巨大な軍隊を保有していたかがわかる。(その比率に合わせれば、陸上自衛隊の総兵力は約300万人が妥当となる。)
武士のおこり
律令制が建前を崩し、土地制度も軍団制度も大きく変質して来たが、それに並行して発展していた荘園制度の中では、治外法権的な荘園を守る為に、豪族たちの武装を認めざるを得なかった。
そのような武力は、平安初期から培われていたのである。例えば郡司などの豪族の中に武士化するものがいたが、領主の利益を守る為にと言う性質があったけれども、只、収奪だけをこととするような領主の支配に対する反抗と言う面にも動いた。もとより中央政府の民政は有名無実化しつつあった時代であるから、国家機構に対して逆らう事も、その武力を持ってすれば困難ではなかった。さらに此処に、中央の権門から虐げられて地方へ下った名門が結びつけば、武力組織の強化も図れた
。国司として地方を歴任した清和源氏や桓武平氏のものなどは、なかでも党首として推されやすかった。
武器の入手
この時代「タマハガネ」の入手は、『タタラ製鉄』の生産量がそれ程盛大ではなく、「タマハガネ」を潤沢に入手出来るのは有力者か、経済的に余裕のある階層に限られ、武器にも、開拓向け農機具にも、益々効率を上げ、武家としても、豪農としても、益々有力者になってきた。
以上
(報告:町原)